木曜日だけの講師、クララ(25歳)は私たちにストレートに感情をぶつけてくる。

「どうして宿題をやってこないの?」
「そこ、うるさい!」
「眠い人は出て行くかコーヒーを買ってきなさい!」
「分からない人は、黙って考えてないで、質問する!」

ふざけすぎる男の子たちには、マーカーペンが容赦なくしゅっと飛んでくる。
彼女が私たちにフラストレーションを感じているときはすぐに分かる。

クララちゃ〜ん、すこぉし怖いよ・・・と張り詰めた空気を感じることも。

勉強しているんだから当たり前?

それがそうでもないのだ。
こっちでは「学びたい人は学んでください」という姿勢で教える講師も多いので(来たい人が自主的に学んでいる学校だから当たり前なんだけど)、誰が居眠りしてようが、理解していなかろうがお構いなしにクールに教えるだけ教えて、「じゃあまた明日!」と帰ってしまう講師もいる。
こういう風にダイレクトに、いわば感情を露出しながら立ち向かってくる人の方が珍しいのだ。

でも、そこがいいんだよなあ。
男の人がよく、「少し気の強いくらいの女の子がいい!」と言う気持ちが分かる。なんだかからかいたくなるんだよね。

私たちは気づいている。
彼女は私たちに心の底から、人と人が分かり合うためのスペイン語を学んで欲しいと思っているのだ。
「仕事としてのスペイン語講師」ではなく、彼女という人間の内側から発せられる熱い思いが伝わってくる。

あなたたちに分かって欲しい。

ここが理解できるともっと自由に、あなたたちらしいスペイン語が話せるようになるから。そしてもっとアルゼンチンの人々と話せるようになるから。
そしたら・・・?
また別のことがもっと知りたくなるから。

きっとこの人はどこにいても、どんな仕事をしてもこうなんだろう。

しだいに私たちはクララの世界に引っ張られていく。
次から次へと質問が続き、彼女はあの手この手で私たちに説明を試みる。
私たちも彼女の言っていること、教えようとしていることを懸命に理解しようとする。教室内の空気が変わる。みんなが一つの方向を向いている、この時間が好きだ。

突然あるタイミングで、かちっときれいに頭の中が整理できる瞬間がある。

「あ、こういうことなんだ」。嬉しくて自然と顔が笑ってしまう。

そして彼女の顔にも「教えることの楽しさ」から溢れる笑顔が浮かんでいる。

私はもっと嬉しくなる。

何か良いことが起こったときに、親しい友人から言われる言葉を思い出した。

¡Estoy feliz por vos ! 
(あなたに良いことが起こって、私も嬉しい。)