77歳で大学院修了

ひゃあ!

4月5日付けの新潟日報「窓」欄に見つけた高校時代の恩師(英語)の名前。
新潟に住む私たちに近況を教えてくださるかのように、ときどき投稿をされることがあるから、このコーナーはきちんと名前まで確認するようにしている。

向学心旺盛な方だったけれど、まさか大学院で学ばれていたとは知らなかった。
家族で樺太から引き上げ、その後は「本土」で生活のために働いた。
30代になられてから働きながら大学の通信教育で学び、ぎりぎりの年齢で教員免許を取得したと聞いたことがある。

南米にもいつか手紙を下さった。
先生が若かりし頃、実は英語ではなくてスペイン語を学びたかったのだけれど、そっちの道へ進むにはまだまだ難かしい時代だった、というようなことが書かれてあった。

新しい世界にざぶんと潔く飛び込む力はどこから沸いてくるのだろう。
先生の歩いて来た道のりを想った。