恐れていること

母が末期のガンを宣告されて、「余命1ヶ月です!」と医者に伝えられる夢を見た。
目が覚めたとき、自分がどこにいるのか分からなかった。現実と夢の間で混乱していた。
ああこれは夢か・・・と安堵するまでにしばらく時間がかかった。

こんな夢を見たのは、最近彼女にメールを出していなかった罪悪感もあったと思う。
言い訳をすると、何度かメールを送ったのに、その直後に戻ってきてしまっていたから(今日メールアドレスを再確認したら、アルファベットがひとつ間違っていた)。
私の家族は普段からお互いに基本的には放任で各自自由にやってきたので、少し連絡が途絶えても気にしていなかったということもある。でも潜在的には気になっていたのだ。その後すぐにネットカフェに行き、母の正しいメールアドレスにメールを送る。びっくりするくらい素早い返信メール。「やっとメール来たねえ・・・元気だった?」
のんびりとした調子のメール。切なくなった。

私のチリでのルームメイトたち。家族の仲がとても良い。
私がこれまでに出会ったチリ家族たちは、お互いを唯一無二の存在として認めているだけではなく普段から言動や行動にして表現している。それは頻繁に近くに住んでいても電話で家族と連絡を取り合うことから始まって(3分くらいの短いもの)、土日は家族が迎えにやって来て楽しそうに地元へ帰っていったり、日曜日のお昼は家族親戚一同で昼食会というのは珍しくはないことだ。アレハンドラの普段連絡が取りにくい(それでも毎週末に会う)父親へのクリスマスプレゼントは携帯電話だった。

そんな彼らだから、私に会うときも「まう元気だった!それで、日本の家族は元気?」と必ず私の家族についての近況を聞いてくれる。私の家族に会ったことない人たちが、私の母はカラオケスナックを経営していて(これを話すとなぜかみんな大笑いする)、妹には1才3ヶ月の赤ん坊がいて・・・と全部知っているのだ。
彼らにとって大事なものはあなたにとっても、そして私たちにも大切なことなのよ、というメッセージが日常の会話から伝わってくる。

私たちはこの世界に永遠に生き続けることはできないんだよって。
そのことを分かっているのかなあ。日々明るく楽しく生きている。時には馬鹿みたいに笑ってる。助け合って生きることは当然なのだ。強がる必要なんてどこにもない。人間は弱いから。だから一人一人を大切にする。自分の弱さを知っているから。そして誰が一番自分のことを心配していて愛してくれているのかも。でもいつかは必ず別れのときはやってくる。

当たり前の優しさの中で暮らしていると、なぜか泣きたくなってくる。

人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)

堀口大学氏の訳が素晴らしいです。物語の面白さとともに美しくて、なるほどこう表現するのか!という日本語に感動。声に出して何度も読み返しています。
表紙の絵と後書きは宮崎駿さんが思い入れたっぷりに書いています。
「貧しい」って本当はどういうことなんだろう?