選べる時代に、選べる国に生まれたということ

日系二世の夫婦が営むサン・テルモの洗濯屋。

アルゼンチンの友達が紹介してくれました。多分お二人とも70歳近い年齢だと思います。洗濯機のない家庭が多いので、洗濯屋さんは至るところにあります。中でも日系人が経営をしている洗濯屋は、「仕事が早くて丁寧」と大人気です。
お店の中には年季の入った大きなアイロン台が入り口近くに置かれています。ご主人がアイロンをかけている姿を外から見ることができます。取りに来るのを待っている洋服たちがきちんと整頓されて天井から吊るされています。まるで日本にいるような気分。

現在アルゼンチンの日系移民家族は4万人ほど。
そのうちのほとんどが沖縄県出身の方々だそうです。
1908年に始まったブラジル移民に触発されるように、日本人のアルゼンチン移民者も急増したそうです。先日、指圧を受けに行った診療所も沖縄出身の方々で運営されていたことを思い出しました。

むむ?

カウンターの上にぽんと置かれたいたアルゼンチン唯一の邦字紙「らぷらた報知」。
毎週三回発行されている日系人向けの邦字新聞です。日本のニュースやアルゼンチン国内のニュースが日本語で書かれています。以前はこのような新聞は二紙あったそうですが、現在は唯一となってしまったそうです。

「義務教育は日本で受けさせたい」という両親の願いで、ブエノスアイレスで生まれた後、小さい時から(何歳からかお聞きするのを忘れてしまいました)18歳まで日本の義務教育を受け、その後ブエノス・アイレスに戻って来られたそうです。

「もうあれから50年以上経つのねえ・・・」。

「人生は自分の力でどうにかなるって思ったこともあった。
だけど、今振り返ってみると自分の力だけではどうしようもできない力に従うしかないことの方がたくさんあった。生きていくことは大変なことだった。
今になってようやく、子供にも孫にも恵まれて自分の人生は幸せだなと感じられるの」。

私の方を見ずに、まるで自分に言い聞かせるように、少し遠くを見つめながらぽそっと発せられた言葉。初めて会った私に、こんなに素直に自分の気持ちを話してくれる彼女。落ち着いた瞳の奥に彼女の歩いて来た道を私なりに想像してみました・・・私には決して分からないことだと分かっていても。

ただただ黙って心で受け止めました。


「生きる喜びというのは、生きる強烈なつらさと背中合わせなんだ」岡本太郎

                猫思う、故に猫あり。