二つの死 二つの涙

お世話になっている近所の旅行社へ。
雑談が始まって女性だけのオフィスは明るい笑い声で溢れていた。

80〜85歳位の男性がやって来て、私の隣に腰を下ろした。

何かを感じて横を見ると、その人は静かに泣いていた。
一粒、二粒。
表情を変えないその人から涙は流れていた。絞り出すような涙だと思った。
周りにいる人たちも言葉は無くただ黙って彼を見つめているだけだった。

「今もとっても彼女を愛している、愛している・・・。」繰り返される言葉。
彼の深い悲しみの波動が私にも伝わってきた。

肩を落とした彼が出て行くと、彼女たちが説明をしてくれた。

4週間前に、58年間連れ添った奥さんが亡くなった。彼はそのことを受け入れられず失意の底で動けないでいる。
見かねた周りの家族が、気持ちの切り替えをするためにクリスマスは彼が過ごしたい場所で迎えることを提案する。その相談をするために旅行社にやってくるのだけれど、彼は「行きたい場所」を決められずにいる。
彼女がここに居ないいま、自分の行きたい場所がどこなのか分からないのだ。

「あれだけ悲しんでくれる人がいて、奥さんは本当に幸せだったんだろうね」。彼女たちはつぶやく。

私はまだ彼の涙が忘れられなくて呆然としていた。

旅行社での用事が済んで、我が家までの帰り道。

大きな通りの真ん中にあるインターセクション。途中で信号待ちをする人たちのために設けられたスペース。
通りの向こう側から大きな秋田犬のような犬が寝ているのが見えた。

近づいてみると、ようすが変だった。
手と足をきれいに揃えて横たわった体。黒い大きな目を見開いていた。

口からはドクドクと止まることのない血を流していた。どんどん流れてアスファルト一面を濡らしている。
外傷は無かった。彼は息絶えていた。

私の心臓はどくどく音を立てて動いているのに、彼は静かに横たわっていた。

向き合わなければいけない死に私は居合わせた。
もう此処には居ない彼のために泣いた。彼はさっきまで生きていたのだ。  

生と死。人間と動物。いったいどこが違うんだろう。